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∞気流法お知らせ

現在、「真のふるさと」はどこに、どのように感得できる?

朝日カルチャー新宿・公開講座 〈人間の原郷に触れる身体術〉によせて

二〇〇九年一月二十八日
坪井香譲


私は、「原郷」ということを目指して身体技法を編んできました。これはあまり使われない言葉ですが、自分が行なっていることや生活や生き方などが本来の相(すがた)、あるべき状態であることを「原郷」にあると言えるのではないかと思います。
仮に自分の生まれた町や家族の様相がすっかり変わり果てたり、なくなったとしても、それでもあり続けるのが原郷です、と、そのように考えられます。
一体、その原郷はどこに、どのようにしてあるのでしょうか。それはまさに、私たちの「身(み)」の裡に、また身と共にある─それを見出し、感じ、取り出すことができれば…という発想です。
そして、その見出す、取り出す方法の基本になるのが∞気流法の身体技法だと思うのです。
技法というのは、元来、身に、存在に備わっているものを取り出すことしかできません。
ミケランジェロや彫刻するエスキモーの言うように、彫刻も、本当は大理石や木の中に既に存在しているものを彫り出すことしかできません。技法というのは技の対象になるものから、既にあるものを彫り(取り)出すことです。
このことで、ふと気付いたことがあります。「世界の秩序」という際の秩序とは英語ではオーダー(order)で、順序、序列、人道、道理という意味もあります。と同時に命令、注文もオーダーです。
つまり、石の裡に潜在しているある形のように、その人の存在、身(み)にある道理が、このように取り出せ、と注文、命令している、とも言えそうです。
自らの存在の道理を裡からの注文として感じとって、工夫してそれを取り出す、表出してゆく。そのように自分なりの「必然」を生きてゆく、という際にこそ、私たちは最も充実して生きていっているのではないかと思います。
身体を通して「道理」を感得してゆく、そしてそれを表出してゆく、それが∞気流法です。


今回は、少し角度を変えて、永遠の青春大河小説とされるロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』なども参照しつつ、この「道理」「必然」を見出すこと、広大な混沌の中に「道理」または「秩序」を見出してゆくそのプロセスを、やさしい身体技法を体験しつつ追ってみたいと思います。実はこの小説、私は十五、六歳の時に出会って〈光明〉の衝撃を受け、二回も読み通しました。ロランはフランス人ですが、トルストイやガンジーと交流しインド思想にも造詣が深かった人です。ノーベル賞を受けたこの小説は今から見ると様々古めかしいところもあるにせよ、ベートーベンのあの共感と共生のヒューマニズムを謳った「第九の歓喜」に直通するスピリットが流れています。(それに〈自然〉との共感・共生という局面が加わるべきことが二十一世紀のテーマになりますが。)


これまで何となく快くて∞気流法を続けてきた方たちも、この講習によってまたもう一つの視点をもつことで、けいこを豊かにしてもらえたらと願っています。


世界のどこにあっても触れ、浸れる〈真のふるさと〉へのプロセスにしたいものです。