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∞気流法お知らせ

ハワイの波とモンゴルの風と

続・遊筆 NO.17

大相撲と文化とグローバリゼーション

∞気流法創唱者 坪井香譲


モンゴルの伝統格闘技、モンゴル相撲では、勝者はその場で直ちに両の手を大きく拡げ、悠然と、大空に舞う鷲のように、勝者の舞いを舞ってみせ、草原を歩み出す。
朝青龍が土俵に上がって両手を拡げて「チリを切る」動作からゆらりと立ち上がる時、賞金を受け取ってそれをやや高く片手で掲げながら蹲踞から立ち上がる時、そこには日本の大相撲の風ではなく蒙古の大地の風が匂い起つか、と私には思えた。
また、制限時間になって最後に立ち合いに入る前、気合と共に褌(まわし)をたたく所作も他の日本人力士と異なり、彼の身のまわりにはやはりモンゴルの草原と風が吹きあがるかと見えた。他のモンゴル力士にも優ってそう見えた。先の勝者の鷲の舞もあの土俵の上のガッツポーズに通じるのかも知れない。
以前、ハワイからきた巨人小錦が、前頭から上位を窺うある場所では、彼の突張りには誰も手をつけられない程の威力があった。それは単に体の大きさや柔らかさや速度によるものでもない。その特色は、私の見るところ、肩の関節の動きの柔軟さ、自在さで、まったく他の日本人力士にはない類の嵐のような激しい動きだった。もちろん彼がハワイで行なっていたアメリカン・フットボールの鍛錬もあったかもしれないが、それだけにおわらない。この肩の自在さには、肩肘張ることの少ない、アメリカ、ハワイの文化、人間関係のある種の自由さが見てとられた。
つまりよくも悪くも上下関係で縛られることの少ない身ごなしである。その上、おそらく彼が育ったハワイの風と波の気配も感じられたのである。少なくとも、その自在さは彼が大相撲に入門してから訓練して身につけたものではなく、もっと以前に身にそなわった、いわば身の記憶によるもののように思えたものだった。
だから、小錦のその見たこともない柔軟さと巨大な嵐のような突張りはやがて後に大関に昇進はしたものの、間もなくその圧倒的な力を失っていった。日本の習慣につかり、それに沿って日本で生活してゆくにしたがって、そうした生得的なものは少なくとも土俵上では失せていったような気がする。もちろん体の故障なども影響したのも見逃せないだろうが…。(少したとえは悪いが、外来種の植物がものすごい勢いで日本の風土を席巻し、このままではどうなるのかと思っていると、ある時からすーっとその恐るべき勢いを褪せさせるのに似ていなくもない。)

風土力、伝統力が大相撲の源

朝青龍にとっても小錦にとっても他の外国人力士にとっても、その生国の風土力、文化の伝統力のようなものは決して無視できないし無視すべきでない。朝青龍が、もし、いわゆる日本人好みの礼儀を守り、大人しく優等生的な力士生活を送っていたら、あのような驚嘆すべき強さを発揮し続けただろうか。
元来、風土力、伝統力は大相撲を支えてきた発想である。四股名のほとんどは生国の名や郷里の山河海などの名であった。産土(うぶすな)の力がそこにあるとされた。詩人、宮沢賢治が地元の名山、岩手山の雲から風から生気を受け取ると詩に謳ったが、それは単なる比喩でもない。
郷土や、縁の深い土地や山河の力は記憶として身と心に沁み込む。無意識の中に私たちの生きる裏付けとなっている。それは家族の想い出と共にいつの間にか私たちに影響し支えている。
以前、将棋のプロの高段者が、ある大切な手筋を覚えたときの思い出をどこかで語っていた。彼の少年時代、巷の将棋道場で、その手を使ってきた大人の相手の、その時の煙草の煙の匂いと将棋の手が一つになって思い起こされる、と述べている。テクニックのエッセンスを包む周囲の場所と時間の流れ。
プルーストの小説『失われた時を求めて』で有名な一かけのケーキの味がきっかけで少年時代が思い起こされてゆくという下りが思い出される。
私たちの生活の様式や行動を支えているのはひとつにはこうした感覚であり、その記憶である。一、一の大小の事件である。それらはいつ、どのようにして出会うかは計算ができない出会いである。その殆どが不意のことである。多くの場合は通常忘れられさえする。
さて、私は、朝青龍が相当放恣に、おそらく自分の力を汲み出し得る「記憶」と感覚を求めて度々勝手にモンゴルへ帰ったり、好きに振舞ったのをすべて肯定するつもりは毛頭ない。けれど、そういう衝動の意味を知ることも無駄ではない。文化や風土の差をどのようにとらえるかも大切である。人間の本性、記憶をもった若者がたとえ「稼ぎ」にやってくるにせよ、全身の猛烈なぶつかり合いという原初性と、それだからこそ、それと対照的な型式性や儀礼の美を結んできた大相撲を、異なる文化の中に育ってきた彼らに、どう身につけさせるか、そこが問われるべきなのだ。〈品位〉などという抽象的な言葉の説教ではどうなるものでない。

野性的だからこそ儀式(セレモニー)が大切

いわゆる一般の犯罪になるようなことは論外であるが、朝青龍問題で最も疑問なのは、彼が土俵内、外で一旦勝負がついてからさらに相手を突き飛ばしたり、蹴ったりする行為をどうして厳重の上にも厳重に注意しなかったかである。親方なり、協会なりがである。これはそれらの人や会のレベルが問われることだったのである。
土俵上でどんなに血気にはやり、闘争心が爆発しても勝負がついたらひとまず終り!とするものがなければ何の「国技」大相撲だろうか。つまり、行司や審判が審くようだが、神道の宮司の恰好をしている行司の軍配を通して、実は「神」が審いている。何のための儀式めいた型式なのか、そういうことを踏まえている識者がいないのだろうか。情けないことである。朝青龍には、断じて若い中にこのことをしつけるべきだったのである。そうすればもしかすると、他のことも自然とそれに伴って理解する態勢が生じていたのでは、と思う程大切なことだった。
大相撲の力士の教育には、各々の国や民族の文化を知りつつ、その上で相撲の風習、型式をどのようにしっかりと教え込むかである。日本の大相撲の、激しい格闘技として野性味あふれつつ、それだからこそ型と儀式に満ちあふれたその意味を伝えるべきなのである。
私は、大相撲はやはり日本文化の独自のものだと思う。そしてそれが今ある意味で「世界化」しているのも面白いし当然だと思う。今更「鎖国」することなどナンセンスである。であるなら次のステップへ向けて、こうした文化的な、もっといえば「人間学」的なことにも根ざして対応すべきだと思う。
日本文化の特色の一つは、この極東の端にあって、押し寄せる多くの文化をどのように和(あ)えてきたかにあるとされる。それはたとえば、文字のなかった我国が、漢字を万葉集の万葉仮名にはじまって、どのように自家のものにして活かしてきたかに典型的に示されるとされる。「異なる」ものをそのまま受け容れるのでもなく、己にあるものを頑に崩さぬのでもなく、排斥するのでなく、それを和える。
異国の力士にもそのように対すべきである。妥協するのでもなく、ただ徒らに頑に押しつけるだけでもないやり方も工夫できるはずだ。一時ブームだったハワイやトンガの力士は、今まったくいなくなった。今モンゴルだがこれもブームが去って…という風に、次々と目先を変えてそのとき限りの市場を漁るだけのことはやめたほうがよい。もっと我も他も文化を根本的にとらえ直した方が可能性が豊かなはずである。
日本人力士が弱い、と言われるし、そう思う。単に日本が豊かになりすぎたからというならあまりに発想が貧しい。なぜか、どうしたらいいかという課題も、実はここに述べた「人間学」的な発想から解明しながら、様々の努力、具体的な試みをしてゆくことで道筋が見えてくると思われる。かつてインドの体育学校で合気道を教え、この二十数年間、日本とヨーロッパ等で身体技法を指南してきた経験から、このようなことが感じられたのである。


( 二〇一〇年 三月 十日記 )


(私はこの一文を、大相撲関係者、たとえば貴乃花親方等に読んでもらいたいと真剣に思ってもいる…。)